大阪ニコンサロン「庭とエスキース」展終了しました。

銀座、大阪と続いた「庭とエスキース」展が終わった。

大阪展でも実に多くの方にご覧いただき、写真集もたくさんの人に抱えられて旅立っていった。

普段は悶々と堂々巡りをしながら、作品について考えているのだけれど、展示となると多くの人から、いろんな角度からの言葉をもらうことになる。そうなると、僕の頭なんぞ、すぐにいっぱいになってしまって、これまでずっと考えたことが急にまとまらなくってしまう。ああ、そうか、ああ、そうなんだ、じゃあ、こうなんだろうか?と頭は弁造さんの遺した庭とエスキースの周りをぐるぐると回り続けた。

でも、それももう終わり。いただいた言葉を大切な糧にしつつ、再び、弁造さんのこと、弁造さんの「生きること」について考えていきたいと思っている。本当にしつこくて自分でもびっくりするけれど、まだまだ考えていきたいことがあるのも確か。それは僕にとって必要な行為と時間なのだろう。

2011年の5月、震災のことをずっと考え続けてきた弁造さんが久しぶりの海を見たいと言った。車中、弁造さんは「人間が海をコントロールする力、それをもう少しつけることができればあんなにたくさんの人が死なんですんだんじゃろう」と繰り返し言った。

でも、午後の光が降り注ぐ穏やかな浜益の海につき、砂浜に降りた瞬間、弁造さんはしばらく絶句して、「ずっと、見とらんかったからすっかり忘れてしまっておった。そうだ、海はこんなに大きくて果てしないんじゃ。これを何とかしようなんぞ、できるもんじゃない。そんな感覚があったらおかしい。でも、だからといって、何もせんのは人間の歩みとは違うじゃろう。間違ったこともあっても求めたいものに向かっていく。人間はそういう生き物じゃろう。わしはそんな人間を応援するぞ」というようなことを言った。

弁造さんは逡巡しながらもずっと考え続けるをやめない人だった。

銀座ニコンサロン、大阪ニコンサロンにご来場いただいた方々、SNS等で情報発信いただいた方、写真集をご購入にいただいた方、多くの応援いただいた方、みなさまの一人一人に深く感謝を申し上げます。

ありがとうございました。

 

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