庭の光#Benzo Esquisses 1920-2012

弁造さんのエスキースをあの光、丸太小屋のたったひとつの窓から差し込んでくる陽光のもとにに返そう。それはたまたま僕の手元に来てしまったエスキースから僕という余計な存在を剥ぎ取ることになるだろう。そして、エスキースはかつてのように弁造さんとの一切の混ざりけのない関係に戻っていくだろう。弁造さんという名もなき画家の名もなき作品としてエスキースは最も美しかった時を取り戻すに違いない。僕にはその確信があった。

しかし、それは叶わぬ夢でもあった。なぜなら、大きなイーゼルが鎮座していた弁造さんの丸太小屋は、弁造さんの死後まもなく解体されてしまっていたからだった。生前、「死んだら無になる」と語り続けた弁造さんにとって、生涯を過ごした丸太小屋の解体は遺書の最初に記すべき事柄だった。そして、2012年の春に弁造さんが逝って、実際に丸太小屋が解体された後、跡地で生まれた出来事については『庭とエスキース』で書いた通りだ。

弁造さんの生活の匂いが染みついた一間の丸太小屋とビニールの窓はもう存在しない。そこで僕は頭の中であの窓から届けられる光を逆にたどった。想像は黄色味を帯びた光の流れをするすると遡り、ビニールの窓をすり抜ける。次の瞬間、一筋の光の流れは融けるようにして消え去った。

そこは大きく広い場所だった。空では小鳥たちの囀りが響き、木々は風を受けてざわざわと枝葉を揺らしている。褐色の荒い樹肌をまとった唐松の太い幹にしがみつき、柔らかな尾を膨らませているのはエゾリスだ。「木ねずみ」、弁造さんがそう呼んで可愛がっていた小さな生き物は、キュッキュッと鋭い鳴くと、幹から幹へと飛び移って、林の中を自在に移動していく。揺れる尾を追って進むと小さな池にたどり着く。水面ではヒツジグサが丸い葉をいくつも並べ、葉と葉の間から覗く水面には、池を囲む木々が映り込んでいる。池は浅く、底では尖った小さな黒い石のようなものが点在している。よく見ると、それはタニシで泥の上に一筋の足跡を残しながら動き回っていることが見てとれる。弁造さんはこのタニシを自給自足生活での重要なたんぱく源として、養殖を始めたのだった。池から視線を上げてもう一度、全体を見回す。陽光は空から満遍なく等質に降り注いでいるはずだった。しかし、森の林床に届く光は、幾重にも重なる葉と葉の隙間を縫って進むせいか、小さく切り取られている。そのせいか鋭さを帯びている。一方、池の光は水が受け皿となっているのか、水面全体に厚みを持って広がり、風が吹くとゆっくりと宙を浮き沈みしている。畑の跡地はどうだろうか。何種類もの草が生い茂り、膝丈ほどの原っぱとなったそこでは、葉の一枚一枚がその先端に光を乗せて、ギラギラと輝いてみせている。

弁造さんが半世紀に近い時間をかけて作ってきた庭では、北の光が自らの多彩な姿を饒舌なまでに語り継いでいる。弁造さんの丸太小屋で見ていたのは、このさまざまな顔を持つ光が集まり、一筋となってビニールの窓を通り過ぎ、イーゼルの上にあるエスキースに届く姿だったのだろう。

弁造さんの庭で光を探そう。エスキースたちが弁造さんの庭の光を浴びて、息を吹き返していく姿を想像した。エスキースの中の女性たちはきっと、目を細めて眩い光を見つめ、手足の力を抜いて日光浴を始めるだろう。その先には絵筆を握る弁造さんが座っていて、ゆっくりと描き続けている。弁造さんの庭でエスキースを撮ってみよう。そう思った僕は春を待って庭に向かったのだった。

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