弁造さんはいつも女性を描いていた。
死後、遺品整理をしていた際に見つけた紙切れに描かれていたエスキースもモチーフは女性ばかりだった。
弁造さんは写生は行わず、想像だけで描く人だった。もちろん、雑誌とかチラシで見かけた女性の姿からイメージを膨らませることもあったが、基本的に頭の中のイメージで描いていた。
弁造さんの描く女性たちは、皆、土の匂いのしない存在だった。暖かな日差しを浴びて寝転んでいたり、楽器を弾いたり、化粧をしたり、髪を整えたりと彼女たちは皆、女性ならではのどこか優雅で甘美な雰囲気を漂わせていた。
僕は弁造さんのこうした絵を始めてみたとき、弁造さんを取り巻く環境とのギャップに少し驚いた。正直、なぜ、弁造さんがこうした女性たちを描くのか、理解できなかったのだ。
しかし、弁造さんは、僕に何か感想を求めるのでもなく、女性たちを描いたエスキースをたくさん見せてくれた。
結局、僕は弁造さんがなぜこうした女性たちを描くのか、聞くことはしなかった。「女性たち」という絵のモチーフは僕の中でわからないものとし、そのわからなさを理解しようとした。矛盾に満ちたその行為は、僕にとって他者を理解することと同義で、わからなさもまた弁造さんの大切な一部なのだと思った。
今でもそうだ。こうして僕が弁造さんのエスキースを預かり、たまに見返してみてもやはりわからないと思う。
ただ、かつてと違うことは、僕の中で、弁造さんが描いてきた女性たちに深い親近感を覚えるようになったことだ。
気がつけば、これらの女性たちは弁造さんにして描くことができない女性たちで、そこには弁造さんの生きることがしっかりと残されていると感じるようになったからかもしれない。
紙切れに描かれた女性たちの表情は皆、一様に笑うのでもなく怒るのでもなく、フラットな表情をしている。その表情はどこか冷ややかでありながらも不思議な魅力で僕を魅きつける。
僕は、弁造さんのエスキースを真っ黒のウールペーパーを背景にして撮り、そのタッチや紙の質感をフィルムに定着させようとした。そして、その写真たちを「弁造さんの女性たち」と名付けた。