オリジナルプリント#写真集制作

今回制作した写真集「弁造 Benzo」は昨夜報告した通り、銀座ニコンサロン(1月24-30)で開催する写真展「庭とエスキース」にあわせてプリント付エディションとして販売することになった。

このプリント付エディションでの販売については、私家版写真集を制作をしようとき決めたときから考えていたもの。それもいくつかの候補作品のなかから選んでもらうという一般的なプリントつきエディションではなく、すべてのページから気に入っていただけたものをプリントしてお送りするというスタイルが当初からのアイデアだった。

写真集がどのくらい買っていただけて、どのくらいプリントすることになるかはさておき、このスタイルにしようと思ったのは、どもし、そういう本があったら楽しいなという単純な発想から来ている。であれば、いずれすべてのプリントを自分で焼いてきたのだから、そこから選んでいただこうということになった。

友人の写真家にそのことを話したら「写真集だけでいいのに」とか「11×14インチの印画紙は大きくて飾りにくい」といった反対意見!?も浴びせられることになったが、せっかくの私家版写真集ということで、今の僕にできること、トライしてみたいことをすることにした。

実際は、価格とかを考えると少し不安なのだけど、そうしようと思ったのは、やはりプリントの魅力を共有してもらいたいというのが一番のところ。写真集の印刷ではサンエムカラーさんに頑張っていただき、刷り上がりの出来としてはとても素晴らしいものだと感じているが、暗室で一枚一枚焼いたプリントはやはり印刷とは別物だと思う。

プリントの方がきれいとかシャドウ部が出ているとか、そういう見た目の話しではなくて、モノとしての存在感と言おうか。言ってしまえば一枚の紙にすぎない印画紙に、レンズが捉えたイメージが定着することによって生まれる存在感の確かさは、写真ならではの魅力だと思う。

また、デジタルカメラだと当然、インクジェットなどの機械出力となるが、フィルムで撮り、暗室のアナログプロセスを経て生まれる写真は、まさにモノ作りそのもので、どこかクラフトに似た雰囲気を携えているように感じる。もちろん、そう言った感覚は僕の偏見を多分に含んでいると思うが、やはり写真は手焼きがいいなと信じて続けて来た。たぶん、これは僕にとってこの先も変わりのない感覚なんだと思う。

そして、暗室で写真を作ることで最も重要なのは、すでに言い尽くされているけれど、写真一枚一枚に関わりあう時間の長さと深さだ。真っ暗な暗室のなかでネガに残されたディティールを見つめ、印画紙に記されていく光と影、そこから浮かび上がる世界に触れることは、写真について考えを深める時間そのものだと思う。

実際、今回の写真集でも暗室に入ることによって、弁造さんという人間を考え尽くす時間が生まれた。そして、その思考の結果が写真集の構成やセレクトを決めていった。人それぞれに制作のスタイルはあるけれど、今の僕にはこうして暗室の中で手を動かすスタイルが不可欠だと感じている。

 

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