雪の日の記憶 #庭とエスキース

昨日から今朝にかけて、僕が暮らす岩手の雫石では40cmほどの積雪があった。この冬初めてといってよい大雪だった。昨日はたまたま秋田の大館で依頼仕事の撮影があったので、ぼうぼうと降りしきる雪のなか、片道100kmを越える運転をした。

吹雪の日の運転はなかなかハードだ。いくら雪道に強いスタッドレスタイヤを履いていても、滑るときには簡単に滑る。運転なんてものはハンドルを握って、アクセルとブレーキを交互に踏むだけの作業に過ぎないが、長時間に渡る雪道運転は緊張状態が長く続くせいか、普段の何倍も疲労してしまう。

しかし、その一方で激しく降る雪は、日常を離れた世界を見せてくれる。雪というものは不思議なものだ。降る雪はひとたびも止まることがなく宙を動き続けている。この雪の一片一片が視界全体、空のずっと高みから指先までの空間全体を、無数の数で満たすのだ。そして、ひとつとして同じではなくそれぞれがそれぞれの軌跡を描いて動き続ける。視界全体を満たして動き続ける無数の存在。それを見ること。そして、それが本当に美しいこと。雪景色以外にこの三つを叶えることができる存在を僕は知らない。昨日の運転中、窓の向こうに広がっていたのはそんな景色だった。雪は森に静寂をもたらし、空と森の境さえも曖昧にした。僕がハンドルを握る車は降る雪の先へ、その先へと進んで行った。

そして、思い出したのは、いつかの日、こうして雪の中、弁造さんを訪ねた日のことだった。

あの日、北海道に強い寒気を伴った低気圧が近づいていることを天気予報は告げていた。でも、僕はもう3月になるのだからといつものように助手席にさくらを乗せて、北に向かって出発した。津軽海峡を渡るフェリーさえ動いてくれれば、あとは勝手知ったる弁造さんの丸太小屋へと至る道だ。どれほど激しい吹雪だろうがなんとか辿り着けるだろうとたかをくくった。

すでに風が強くなってきたのだろう。青森港から出発したフェリーはいつもよりも揺れた。僕はフェリーに乗るとき、デッキには上がらない。ルールでは車内に残ることは許されていないが、いつの頃からか車の荷台に敷いた寝袋にくるまって、さくらと一緒に仮眠を取るようになった。青森から函館までは約4時間。仮眠にはちょうどよい時間だった。通常の揺れであれば、さくらはいつもの定位置、運転席と助手席の間に敷いた座布団の上で丸くなっていた。しかし、揺れがひどくなるとさくらは不安を覚えるのか、後ろの荷台までやってくると僕の寝袋に身体を寄せて丸くなった。その日も出航からほどなくして、さくらは後部座席にやってきた。車輌鋼板に並ぶ車が揺れ、どこからかギーギーとタイヤが鳴る音が聞こえてくる。僕はさくらの黒く艶やかな毛に触れながらうとうとと眠りに就いた。

フェリーが函館港に到着し、車輌鋼板の大きなハッチが開くと大量の雪が船内に舞い込んできた。夜が明ける前でまだ暗いはずだが港全体がぼんやりと白く浮き立って見える。積雪20cmといったところだろうか。まあ、これなら走れるだろうとそのまま雪の道を出発した。目指すは約500km先にある弁造さんの庭と丸小屋だ。

函館から大沼までは登り道だ。この間、これほどの大雪を経験したのは後にも先にもはじめてだった。吹雪は大沼から森に入るとさらに激しさを増していく。でも、僕はまだまだ余裕だった。休憩時には、スノーシューを履いて、さくらと一緒に北海道ならではのパウダースノーを楽しんだほどった。

しかし、この余裕も午後になるとさすがに失われた。そのうち止むだろうと考えていた雪は、ちょっと想像ができないぐらいの量になってきた。何より不安にさせたのは路面への積雪だった。除雪さえされればいくら雪が降ろうとも問題はない。しかし、除雪が追いつかないのかあるいはもう諦めたのか、小樽を越えた時点で、道路と路肩は判断がつかなくなり、タイヤも半分以上が埋まってしまうという状態となった。やがて前に進むことすらできなくなるのではないかという不安もよぎった。もちろん、吹雪のせいで視界もほとんどない。眼を凝らしても前方に車が走っているかどうかを判断することもすでに困難となっていた。

結局、僕に残された選択肢は暗くなる前にどこか安全なところで停車して、雪が止むのを待つことだけだった。しかし、それすら難しい状況でもあった。除雪が全く追いついていない状態なので安全に車を停める場所が見当たらないのだ。道の駅の駐車場にすら雪で入れない状況だった。そこで僕はとにかく車を停められるところを探しながらノロノロと先を進むしかなかった。奇跡的に数台分だけ除雪されているコンビニを発見できたのは、もうほとんど真っ暗になろうとする頃だった。店主に事情を話し、しばらく停車させてもらう了解を得た僕はくたくたになった身体を荷台の上に投げ出した。そして、きっと心配しているだろうと弁造さんに電話をし、今日は到着できなくなった由を伝えた。携帯の向こうから聞こえてきたのは、「あんた、こんな雪の日はじっとすることじゃ。絶対に動くなよ。止まん雪は今まで一度もない。とにかく動かんことじゃ」と繰り返す弁造さんの甲高い声だった。

疲れていつの間にか眠ってしまった僕は眩しさで眼を覚ました。車の窓という窓から真っ白な光が注がれている。外の景色を見たくて、車のスライドドアを開けてみる。するとドアの外に積もっていた雪が崩れて車内にバサバサと崩れ込んできた。一晩で完全にタイヤが隠れてしまうほど、雪が積もっていたのだ。道路も雪野原のようで、僕は後部席に腰掛けながらスノーシューを履き、そのまま飛び降りるように車の外に出た。僕の後からやはり雪に飛び込んださくらも完全に雪の中に埋まってしまったが、さっと這い出ると濡れた黒い鼻でくんくんと風の匂いを嗅いだ。大気には乾いた陽光が作り出す冬の快晴の匂いが広がっていた。

こうして、苦労の末に弁造さんの丸太小屋に到着したのだが、滞在中、雪はそれっきりで、結局一度も雪かきをするほどの雪は降らなかったと記憶している。

毎日、真っ白な雪原が作り出す地平線から上は清々しい青空で、弁造さんと屋根の雪下ろしをしたり、薪ストーブの暖を味わいながらどうでもよい話をしたりして、冬の日常を過ごしたのだった。

雪が降れば、こうして弁造さんとの穏やかな記憶が蘇る。この記憶に何か特別な意味があるのではない。ただ、そういう時間を過ごすことができたという、過ぎ去った日々を思い起こすだけだ。でも、そこに肯定があるといえばいいだろうか。吹雪の翌日、あっけらかんと晴れた空の下でハンドルを握り、あの小さな丸太小屋にたどり着き、「顔も洗ったことのない老人のところに来る変わり者が大雪を越えての登場じゃ」と弁造さんの屈託のない笑顔を思い出すと、日常というものの不思議なほどの愛おしさを覚えるのも事実だ。

今、弁造さんが作った庭にはどれほどの雪が積もっているのだろうか。

 

 

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