昨年1月に上梓した写真集「弁造 Benzo」のために僕は暗室に篭った。朝起きて、夜寝るまで、ひたすら暗室で弁造さんが写るネガを見定め、プリントを制作していった。弁造さんと出会った頃から逝ってしまうまで、そして逝ってしまった後。約20年に渡る弁造さんとの時間は、暗室の中で鮮やかに再現され、それを夢中に追いかけているうちに1ヶ月がたち、2ヶ月がたちといった具合で、外の時間は暗室の中で流れる濃密な時間と反比例するかのようにあっという間に過ぎていった。使用した印画紙は1500枚をこえていた。
ネガの最後までたどり着き、暗室から出たとき、もう弁造さんを撮ったネガをプリントすることはないだろうと思った。弁造さんが生きていた日々を思い起こし、もっと撮れたはずだと悔しさも覚えたが、そういった後悔も含めて、その時点での弁造さんの写真はこれがすべてだと感じたからだった。
その後、約数ヶ月かけて写真をセレクトし、実際の本作りへと作業を移していった。紙選び、初校、色校と作業を進めているうちに月日は流れ、京都にあるサンエムカラーさんの工場に刷りだしの確認にいったときには、秋も深まっていた。
そして、その頃に決まったのが2018年1月の銀座ニコンサロンでの個展開催だった。個展の内容は、弁造さんが遺したエスキースと庭の写真を手掛かりに弁造さんをもう一度考えてみようとするものだった。かつて存在していた「人」が不在になったとき、その不在を通して、何を想うことができ、何を得られるのだろうかというのがテーマだった。それはある意味で写真集「弁造 Benzo」以後の位置付けとも言える写真群だった。僕はこの「庭とエスキース」展で、写真集「弁造 Benzo」を世に送り出そうと決めて準備を進めていった。
実際の展示が始まると、展示も写真集も僕の予想を軽々と超えて、実に多くの人に受け入れていただいた。弁造さんの生きることを待ってくれていた人がこんなにも多くいてくれたんだと驚くしかなかった。
銀座に引き続き、2月末に大阪ニコンサロンでの展示も終わったとき、2016年の12月から始まった暗室作業はようやく着地した、ように感じた。それは達成感と寂しさがないまぜになった感覚だった。弁造さんが遺した世界にアプローチしていくことをやめるつもりはなかったが、どこか弁造さんが遠のいたように思えた。
しかし、結果からすると僕から弁造さんが遠のくことはなかった。みすず書房からの書き下ろし単行本の話という晴天の霹靂に僕は飛びつき、弁造さんのことを書くということに夢中になった。元々、言葉を綴ることに抵抗はなかったけれど、今回ほどひとつのことに熱中して書いたのは後にも先にも初めてのことだった。気がつけば、原稿用紙にすると500枚を超える文章になっていた。弁造さんの言葉を思い起こし、僕の目から見えた弁造さんのしぐさ、表情、たたずまい、匂い、ひとつひとつを呼び起こして、想像することを怖れず、弁造さんを僕の言葉の中に立ち上がらせていった。
その原稿を書きながら、これをすべて書き終えたら、と考えていることがあった。それは、暗室についてだった。今、制作中の単行本「庭とエスキース」には写真のページが40ページほど予定されていた。ここに弁造さんを立ち上がらせる。その材料として、写真集と写真集に入りきらなかった写真を使うことを最初に考えたが、どこか腑に落ちなかった。
弁造さんのことを書く。それは弁造さんの記憶の細部や日々の何気ない表情を描くことでもあった。そうしたとき、写真集用にプリントしたものだけでは足りないと思えたのだ。弁造さんの日常に流れる、もっと普通の時間を見てみたいと感じた。
秋を迎える頃、僕は長い長い弁造さんの物語を書き終えた。そして、まるで約束を守るかのように再び暗室に入った。たくさんの印画紙、現像液はすでに準備しており、弁造さんを撮ったフィルムも1998年からずらりと年代順に並んであった。
僕は弁造さんの生きることの2周回めを前にして、不思議な気持ちになった。こうして、フィルムがある限り、弁造さんの生きることを何度でも伴走することができる。フィルムから、あるカットと選んでプリントする。それが弁造さんの生きることに対する僕なりの問いかけや、忘れていたもの見落としていたものへの気づきだとしたら、写真を見ることでそれを何度でも繰り返し更新していけるとしたら、写真とは何という不思議な存在なのだろうか。定まったはずの過去が写真によって呼び覚まされて、かつての意味を脱ぎ去るようにして真新しい意味をまとっていく。実際、そうだったのだ。暗室のなかで再び過去に戻り、弁造さんの背中を追うようにして、少しづつ日々を重ねていく。その過程で見たものは、かつて感じたもの、かつて覚えた問いかけから半歩ズレるような絶妙さでスライドしながらそこに立ち上がる、新たな弁造さんだった。
こうして制作日誌というかたちで言葉を連ねている今、僕はすでに暗室の外だ。弁造さんの生きることを見つめる2周回目の旅は終わってしまい、その寂しさを埋めるかのように、テーブルの上にはたくさんの印画紙の空箱が積み上げられている。僕はこの空き箱を見るたび、弁造さんへの3周回目の旅をいつか始める日が来ることを心待ちにしていたりする。