雪虫の舞う頃#写真集制作

弁造さんが暮らした土地では11月は初雪の季節だった。

それは僕が暮らす雫石でも変わりないが、弁造さんから初雪の話を聞くたび、憧れる光景があった。

それは、初雪の少し前に空を乱舞する雪虫たちだった。弁造さんが暮らす北海道では、雪虫が雪の合図だという。白い綿毛のようなものをまとった小さな虫が晩秋の空に舞うと、数日から1週間ほどで初雪が降るというのだ。

雪虫の発生量は年によって大きく異なるらしく、多い年になると、目も開けていられないほどの雪虫が空を舞うのだという。僕も弁造さんの庭で何度か、ふわふわと舞う雪虫を見たことはあり、いつかは雪虫の乱舞を見たいと思っていた。しかし、自然のリズムを予見するこは困難で雪虫乱舞に出会う挑戦はいつも失敗に終わった。そして、そうこうしている間に弁造さんは逝ってしまい、雪虫の乱舞を見たいという思いもいつかの思い出のように遠のいてしまっている。

でも、そうした現実がそうだからだろうか。僕の中では弁造さんが語ってくれた思い出が妙に生々しくなっていたりする。

弁造少年が原野の中を走って帰っていたら、雲のように湧いて舞う雪虫の群れに出会い、目を閉じ、口を閉じて逃げるようにして家に飛び込んだら、服が真っ白になっていたという話。若い頃に自転車に乗っていたら、やはり雪虫の大群の中に飛び込んでしまい、一心にペダルを漕いだという話。それは今ではまるで僕自身の思い出のように思えるから不思議なものだ。

ある年、雪虫を待って弁造さんと過ごしていたが、どうしても帰宅しなくてはならなくなり、泣く泣く帰ったときがあった。すると帰宅直後に弁造さんから電話があり、「あんたが岩手に帰った途端、雪虫が舞ってなあ。今年はえらいよく飛んだもんじゃ。来週にはいよいよ雪が降るなあ」と言われたことがあった。

たらればに過ぎないけれど、あのとき、もう1日滞在していたら、僕は雪虫を見れたのだろうか。

何の根拠もないけれど、もし滞在を延ばしていたとしても僕は結局、雪虫の乱舞を見ることは叶わなかっただろう。電話口の向こうから届けられる弁造さんの少し甲高い声を思い起こすたびに、なぜかそう思う。

 

 

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