弁造さんとの時間#写真集制作

弁造さんはユーモアを愛する人だった。人が来れば、話し相手につかまえる癖があったが相手をできるだけ楽しませようと道化を装って笑い話ばかりしていた。

そんな弁造さんが、僕に心を内にあるものを伝えてくれるようになったのはいつからだろうか。あるときから、弁造さんは僕に思い通りにいかない人生の難しさや孤独、年齢のことなどを話すようになった。その話のなかには、老人の多くが抱くような後悔や妬みなどの感情も含まれていて、それを聞くたびに僕は苦しいような感覚を覚えたが、一方でそれは僕がずっと知りたかった生きることに関わっていることでもあった。

弁造さんがよく語っていたのが、自分の人生の幸福についてだった。弁造さんは、過去を思い返し、自分の歩んできた道が幸福であったと繰り返し言い続けた。でも、それは裏返しでもあって、悔いを浮き上がらせることにもなった。僕にしてみると、弁造さんが抱く悔いは誰の人生にも付きものだと思えたが、弁造さんの年齢を考えると痛々しくも思えた。

今の自分が幸せかどうか。そんな問いを抱くことで何を得られるかどうかわからないけれど、ときにそれを考えなくてはいられないのが人という生き物なのだろうか。小さな丸太小屋のなかで、弁造さんの話に耳を傾けていた時間が今も僕の中に生々しく残っている。

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