弁造さんが描く絵でもっとも大切なモチーフのひとつが母と娘だった。
結婚したこともなく、当然、娘もいない。そんな弁造さんだったが、なぜか繰り返し母と娘を描き続けた。しかも、一枚を完成させるというのではなく、時間を置いては、繰り返し筆を加えるという描き方だった。
この母と娘は、僕が弁造さんからはじめて見せてもらった母と娘で、「僕のなかではとても気に入っていた一枚だったが、筆を加えるなかで気にくわないことがあったのだろうか。知らぬまに塗り潰してしまっていた。それだけ弁造さんにとって母と娘だけは特別なモチーフだったのだろう。その特別さは、繰り返し母と娘を描き続ける弁造さんの姿が教えてくれた。
その一方で僕はなぜか、なぜ、弁造さんが母と娘にこだわり続けるのか聞くことができないでいた。その理由を知らないことで、僕自身がより深く、弁造さんが描く母と娘を見つめることができると感じていたからかもしれない。
今となってわかることだが、弁造さんの絵描き人生の最後の作品も「母と娘」だった。