これまでに経験したことがない長い長い暗室での作業は、過去の自分を見つめることでもあった。
そもそもなぜ弁造さんを撮ろうと思ったのか。
カメラを向けたいと願ったのは、僕が子供の頃から抱えていた「生きることの不思議さ」への答えを見つけたいという思いだった。なぜ生きるのか、どう生きるのかではなく、それ以前の生きることへのもっと手探りめいた問い。
20歳代半ばの僕は、それを他者の人生を通じて見てみたいと思った。そして、その問いを受け止めてくれたのが北海道に暮らす弁造さんだった。
当時、弁造さんは78歳で、森と畑を育て、絵を描きながら、弁造流自給自足生活を送っていた。
弁造さんの家は、10畳ほどの小さな丸太小屋で、そこにはたった一つの窓があった。
窓にはビニールが貼られ、透明度を完全に失ったそこに映るものは、抽象化された季節の色彩だった。