誰かを思うこと#写真展「庭とエスキース」

先週の1月30日に終了した「庭とエスキース」では、タイトル通り、弁造さんが作った「庭」と「エスキース」を2枚組みとして、壁に並べていった。二つの組み合わせや年代にはルール的なものは設けず、ずっと頭の中にあったイメージでセレクトしていった。この「ずっと」とは、弁造さんが逝ってからの5年間という時間だ。

2012年に弁造さんが逝ったことで、当然、僕の前から弁造さんはいなくなった。弁造さんは死んでしまったけれど、死はあくまで概念であって、「不在」という方がしっくりきた。僕はこの永遠の不在の前で弁造さんのことを考えることになった。そのキーワードになったのが、弁造さんが遺してくれたエスキースを中心とした「絵」であり、何十年もかけて作ってきた自給自足を叶えるための「庭」だった。庭とエスキース、この二つから弁造さんを考えることは、僕に自由な想像を許した。かつて弁造さんと一緒に歩いた庭、弁造さんがいなくなってからの庭を僕は頭の中で行ったり来たりした。長い長い散歩のようなものだと思った。絵についてもそうだった。弁造さんの小さな丸太小屋の中で見せてもらった絵と死後直後の遺品整理の際に見つけたエスキース。僕は頭の中でそれぞれの絵に描かれた線をつなぎ合わせるようにして、絵の中を旅した。そして、弁造さんの生きること、生きたことについて思いを巡らせた。

そんな時間は時に甘く、またどこか苦しさにも近いものもあったけれど、僕は時間の流れのなかにいて、5年という月日が過ぎていった。

今回の展示は、この不在の5年間をかたちにしてみようと思った。庭とエスキースというふたつの窓を前することで見えてきたこと、考えたこと、それがなんであろうかと。だから、今回の展示ではあえて、弁造さんのポートレートを選ぶことはなかった。不在の中で人間を立ち上がらせることができるか、不在の風景に人間を見つけることができるか、そんなことをぼんやりを考え続けていた。

結果としては、人間の想像力の豊かさを思い知ることになった。

人の手が尽くされた庭、人の手でしか描くことができない濃淡を含んだ線は、その前に立つ人の中にしっかりと人の姿を立ち上がらせてくれた。「2周見て回ってはじめて、ここに人がいないことに気づいた」と誰かが言ってくれれば、「2度見に来て、そうか、ここには人がいないんだって気がついた」と言ってくれた人もいた。

そんな声を聞くにつれて、僕の中で確信に変わっていったことがあった。それは、人が人を思うときの強さと豊かさだ。僕たちは他者の人生を生きることができないという約束の上で生まれてきたはずなのに、誰かを強く思うことで、その誰かを胸の奥で鮮やかなほどに生かし続けることができる不思議な力を持っている。

本人には一度も会ったこともない弁造さんの写真を見ただけで「弁造さん」を親みを込めて呼び、まるで祖父か友人のように話し、弁造さんの佇まいや匂いまでも想像をめぐらせる。写真展会場ではそんな風景がずっと続いていた。もし、この能力が人間の誰もが持つものだとすれば、人間とは本当に不思議な生き物だと感じる。と同時に、その存在に限りないまでの愛おしさも。

弁造さんの存在について、僕も毎日ずっと考え続けている。それはときに堂々巡りのような問いかけもあるけれど、そのほとんどが弁造さんが暮らしたあの小さな丸太小屋の部屋に満ちていた匂いを嗅ぎとるような行為だ。弁造さんのかすれた笑い声や、汚れた指先、散らかった部屋を思い起こし、生きることについての不思議なほどに強い実感を得たりしている。

※奥山淳志写真展「庭とエスキース」は次回大阪ニコンサロンで2月22-28日の開催となります。

http://www.nikon-image.com/activity/exhibition/salon/events/201706/ex_20180124.html

※奥山淳志写真集「弁造 Benzo」は専用サイトにてオンラインでのご注文を承っております。

どうぞ宜しくお願いいたします。

奥山淳志写真集「弁造 Benzo」について

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