ふたつの窓#写真展「庭とエスキース」

1月24日から銀座ニコンで始まる写真展「庭とエスキース」は、弁造さんが大切に育ててきた自給自足農園である「庭」と、長年書き続けてきた「エスキース」をヒントしてにて弁造さんという存在、ひいては”人”というものを考えてみようと思い制作することになった。

2012年4月に弁造さんが逝った後、僕に残されたのは、弁造さんが作った「庭」と、弁造さんが書き残した遺品としての「エスキース」だった。

本人がいなくなってしまった以上、僕が弁造さんにアプローチできる道筋はその二つだけだった。そこで庭とエスキースから弁造さんについて考えていくことになるのだが、気づいたことは、その二つは弁造さんから生まれものには違いないのだけれど全く違う意味を持つものだということだった。

弁造さんにとって、「庭」は言葉だった。繰り返し弁造さんが言っていたように、一家が永続的に暮らしていけるようにと計画して作った自給自足を目的とした庭は、弁造さんが現代の社会に生きる人たちへのメッセージとして育まれた。それは開かれた場所といっていいだろう。弁造さんは気候の厳しい北海道で安全にかつ効率的に農作物を育てていくために様々な工夫をし、また、書物や先人から多くの知恵を借りて実践し、人が生きることの可能性を伝えようとした。

その一方でエスキースは弁造さんの中で育まれた世界だった。僕は弁造さんの女性ばかりをモチーフにしたエスキースを見ると、不思議と言葉が出てこない。何のために描いたのかはもちろん、なぜこうした女性たちがこうしたシチュエーションなのか、なぜ、女性たちがこのような表情をしているのかなどと次々と疑問は湧いてくるが、その問いに想像をめぐらし、答えようとしても言葉が出てこないのだ。なぜだろうとずっと考えてきたけれど、きっと、それは閉じた場所だからなのだと今は思う。弁造さんのエスキースは弁造さんの中で固く閉じていて、外の世界と通じ合う回路を持っていないのではないか。だから、僕はただただエスキースの前で見つめることだけを繰り返すのだ。

でも、僕には閉じた世界であっても、弁造さんにとってエスキースは開かれた世界だったのではないだろうか。庭が外に開かれていたのとは真逆に、内に内に、自らの精神と肉体の奥へと開かれていったのではないか。その先を見つめた結果、弁造さんは紙切れに、レシートの裏に、封筒の片隅にと描かずにはいられなかったのではないか。

二つの窓。「庭」と「エスキース」とはそういうものなのではないだろうか。人は誰もがどういう状況であっても社会と向き合っていく場面がある。人は社会と結びつきを作らずして生きていくことができない。それは個が社会とどのような結びつきを作っていくかということでもある。弁造さんの場合、自ら社会との結びつきは庭だった。庭の向こうには社会という窓が開いていた。

一方のエスキースは、その窓を開けると、見えるのは自分自身だったのではないか。エスキースを描けば描くほど、自分自身が鮮明に見えてきたのではないか。

弁造さんはこの己を見つめる窓と、社会に開かれた窓で自己をというものを作り出していたのではないか。

でも、これは、弁造さんだけの特別な事情なのだろうか。

いや、決してそうではないだろう。僕たちは誰もが社会と結びつきを作ることでしか生きられないし、その一方で、無駄に深いとしか言いようがないほどの深淵なる自己の世界を持っている。この二つの窓からしっかりとその先にあるものを見つめ、触れること。それが”生きる”というバランスを保つ大切な方法にも感じる。

今回の展示では、「庭」と「エスキース」という弁造さんにとってのふたつの窓を通じて、見る人が自分の窓について思いを巡らせる機会になってくれるだろうか。

もし、それが実現できたとしたら、弁造さんの「生きること」の大切な部分を感じ取っていただことへとつながっていくと思う。

さあ、展示まで2週間となった。弁造さんの二つの窓は、見る方々によって大きく開かれるだろうか。

 

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