弁造さんの庭#写真展「庭とエスキース」

弁造さんの庭は遠い昔に石狩川が流れていた河岸段丘の上に作られていた。鉄分を含んだ赤土が特徴で、段丘という地形から有機質が流れやすく、作物を育てるには決して良い条件ではなかった。しかし、弁造さんはそこに木を植え、家畜を飼い、何十年もかけて土壌改良を施し、土地を肥やした。また、水が溜まりやすいという地質を生かして、食用のタニシやコイを育てるための池を掘ったりもした。

この池は弁造さんの庭のランドマーク的存在で、「タニシの池」という野暮ったい名前ではあったけれど、庭の四季を写し込む美しい鏡だった。僕は弁造さんの庭を訪ねる旅に、池に映る季節の色合いにカメラを向けた。

畑にしても森にしても、弁造さんは「美」にもこだわった。木々の並び、種類、池の形、畑への通路など、庭の設計は効率と使い勝手の良さを基本にしながらも、それを美しく仕立てるのが弁造さんの仕事だった。

弁造さんはよく言った。「人の手を感じさせない。自然が好んでこのかたちになった。庭を見た人がそう思うようになると、美しい姿になってきたってことじゃ」。

確かに弁造さんの庭は、弁造さんの意図を感じさせなかった。木々はめいめいが好きな場所に根を張り、競い合って空を目指していたし、草花も吹く風に種を乗せて飛ばし、自由のままに花を咲かせていた。タニシの池の水草も四季の光を選んで水面を飾っているとしか見えなかった。

この世界観が、弁造さんが言っていた「自給自足にも楽しみがないといかん」ということだった。

「美しい畑や森があって、散歩したり、山菜を採ったり。自給自足は決して惨めであってはいかんぞ。畑も林もみんなが遊びに来る場所にならんといかん」。

自然でもない。かといって、人工的でもない。弁造さんの庭は、弁造さんの繊細な感性と北海道の自然が美しく調和した結果に生まれた宝物のような場所だった。

来年の「庭とエスキース」展では、その美しい世界を紹介できると思う。

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