友への旅#写真集制作

弁造さんは92歳まで生きた。間違いなく長生きと呼べる人生だったろう。

そして、長い人生だからこそ常に考えなければいけないのが「死」というものだった。

いつか弁造さんは自らの手帳に、「健康に留意するのは死ぬときにうろたえぬためなり」という言葉を記していた。弁造さんの晩年の行動はまさにそのときがきたときに「うろたえないため」にというのが基準となっていた。自らの死への覚悟は常に更新されていたように思う。

しかし、弁造さんは長生きすることで自らの死以外の死と直面することになった。友の死だ。弁造さんの友の多くは弁造さんより早く逝った。

親友の死の際には弁造さんは落ち込み、弁造さんの生きる力を萎えていくようにも思えた。友が死んでも弁造さんは決して葬儀には行かず、少し時間を置いてから墓地へと向かった。葬儀に顔を出さない理由を聞くと、「死者を送る者には順番があるんじゃ。死者の先に続く未来を作るものが見送るのがいい」とだけいった。

晩年、弁造さんに行きたい場所はないですかと尋ねると、答えは決まって、友が眠る墓地だった。晴れた日、雨の日、何度か弁造さんと墓地に行った。

手を合わせ、小さな声で友に声をかける弁造さんの表情はいつもどこか怒ったような感じだった。

墓地の静けさと弁造さんの後ろ姿が、僕のなかで生と死の不思議さや不条理さを語り続けている。

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