弁造さんの農業は、北海道開拓時代から受け継げれたものだった。
「近代農業が北海道を駄目にした」と弁造さんは語り、自身の畑は長年かけて土づくりから行ない、化学肥料を使わない農業を実践していた。しかし、弁造さんが新しい技術や科学を否定していたわけではなかった。
弁造さんは、いつも限りある地球の資源を人類全体で共有するためには、新しい技術が不可欠だと語っていた。
長年、有機無農薬栽培を行なってきた弁造さんは「わしがやってきた、この農業のやり方で、増えた人類の食糧を作ることは無理だと思う。新しい農業のかたちが不可欠なんじゃ」と語っていた。
弁造さんはリアリストであり、そこが弁造さんの核にもなっていたと思う。