今回、写真集を制作するにあたって、版元にアプローチすることはなく、私家版とすることにした。
一番の理由は、本当に自分が見たい写真集を自分の手で作って見たいという思いがあったからだ。また、弁造さんが、その生き方として、すべてのことを自分の手で作るということに徹していたことも大きかった。
弁造さんのすべてを真似することはできないが、写真集制作は自分の手で作ってみようと考えた。
そう決めたとき、問題となったのは装丁だ。編集や構成は過去の経験を活かせるとして、装丁については門外漢だ。子供の頃から本が好きだったので、造本の種類や特徴はそれなりに理解しているが、一から自分で考えるとなると話が違う。さて、どうしようかと思った僕は、上京仕事のついでに東京暮らししていたときに一番好きな街だった神保町を歩くことにした。
そして、古書の街で無数の本を眺め、手に取るなかで出会ったのが、『ハイエナのエナ公』という一冊だった。著者は、版画家の関野凖一郎さん。奥付を見てみると”私家版”との文字が記されていた。
その本を見て、僕が作るべき私家版の写真集がどうあるべきかを知った。
簡単にいうと、それは作家が持つ感覚としての匂いや手触りを本に溶かし込むというものだ。
作家の感覚をマチエールとして本を作るとでも言おうか。それが『ハイエナのエナ公』にしっかりと現れていた。
僕はこれから自分が作る本のかたち、匂い、手触りを想像しながら、大切な宝物のようにそこにたたずむ『ハイエナのエナ公』の頁をめくった。