暗室の中で立ち上がってきた弁造さんとの時間。
その時間の中に身を置き、作業していくなかで不思議な奇妙さを拭い去ることはできなかった。
それは、暗室の中でネガからプリントを作るという行為を通じて、弁造さんの人生を伴走する僕が、弁造さんという人生の結末を知っているということだった。
現在に身を置く者としてそれは当然なことであるが、暗室の中では過去の時間のリアリティが優っているだけに、やがて来る将来の時間のことがどこか予兆めいたものとして感じられた。
ある一点、弁造さんが逝く2012年4月23日に向かって進むことがどういう意味なのか。捉えることができないまま僕はプリントを続けた。