見定める眼の言葉 #庭とエスキース

2週間ほどそわそわした日々を過ごしていた。

ずっとある方からの言葉を待っていたからだ。その方の名は『泥の河』や『死の棘』などの作品で知られる映画監督の小栗康平氏。光栄なことに小栗監督に来月16日に発刊となる『庭とエスキース』(みすず書房)の帯文を書いていただけることになったのだ。

このご縁を作ってくれたのは『風の旅人』の佐伯剛編集長だった。僕が出来上がったばかりの写真集『弁造 Benzo』を佐伯編集長に送ったところ、すぐに「この方にも送ったらどうか」と連絡をいただいた。それが小栗康平監督で、佐伯編集長によると『弁造 Benzo』の世界観は小栗監督の感性に通じるものがあるとの直感を覚えたのだという。

あのときも落ち着かぬ日々を過ごした。小栗監督といえば写真の世界でも知らぬ者などない。とくに『死の棘』の狂気を伝える画面構成は仲間の写真家との間で繰り返し話題になっており、いつも小栗監督の奇才ぶりに話が及ぶのだった。そんな小栗監督に手作りと言ってもよい僕の写真集をご覧いただく機会が来るなんてと緊張するのも当たり前だ。写真集を梱包する手にも冷や汗をかいた。

数日後に送られてきたメールには、「合計316カット、ゆっくりとシーンが繋がれた1本の映画のようにじっくりと見ました」と始まる小栗監督ならではの言葉で感想が記されていた。

小栗監督は寡作で知られる。映画を撮るのは約10年に一度程度。表現者としての小栗監督の営みは地中深くで眠る鉱脈を探すようにも見える。そんな氏の見定める眼の強さと確かさといえばいいのだろうか。『弁造 Benzo』に向けられた小栗監督の言葉はまっすぐに弁造さんの”生きること”に向けられていた。しかも、小栗監督には、僕が写真集発表に合わせて銀座ニコンサロンで開催した「庭とエスキース」展にもご来場いただくことになるという幸福な時間を得ることになった。

そして今回、この小栗康平監督に帯文の依頼をさせていただくことになった。正直言うと恐れ多い以上に果たして小栗監督が僕の稚拙な文章を読んでいただけるものかと不安の方が多かった。それでも、1年間かけて原稿を書き進め、ようやくここまで来たのだからと腹を括って編集部からゲラを送っていただいた。

冒頭に戻るが、それからの日々はなかなかどうして落ち着かない日々だった。

弁造さんが生きていたら、相談の電話でもして笑い話のひとつでも聞かせてもらうところなのだが今となってはそうもいかない。まだ見ぬ小栗監督の書斎をあれこれ想像し、熱心にゲラをめくる姿を無理やり思い浮かべて安堵したつかの間、「こんなつまらないものを」と足元に放り投げられたゲラの束が頭に浮かんできては不安にかられるという始末だった。

でも、先週、そんな日々にもついに終わりが来た。

一通のメールがみすず書房の編集担当のOさんのところに届けられたのだ。

「ふわっと飛び込んできました。こちらにも何かを問うてきて何度読んでもまた読んでいます」というOさんらしいひとことが添えられて僕のアドレスへと転送されてきた一通のメール。そこには小栗監督でしか書くことができない言葉で『庭とエスキース』が表現されていた。

帯文はそもそも推薦文という役割を持つ。作者と読者をつなぐ役割。だから基本は内容を褒め、読んでほしいと勧める。しかし、小栗監督の言葉はそんな生易しいものではなかった。ゲラを前にして、写真集『弁造 Benzo』を見定めた視線の強さはそのまま僕の言葉にも向けられることになった。

そのことを改めて理解した僕は背筋を正した。蛮勇を承知で書くと、僕の言葉は小栗監督に試されていたと感じたからだった。小栗監督の言葉は、僕が綴った無数の言葉にどこまでも続いていく表現の先にあるものを少しだけ覗かせてくれたと思ったらそこで終わっていた。それは表現することの重みが静かに伝えられた厳しくも幸せな瞬間でもあったと思う。

こうして弁造さんの”生きること”を綴った『庭とエスキース』は、小栗監督の言葉で背中を押していただけることになった。その言葉を今、ここに記してみたい気持ちもあるが、言葉が持つ響きはカバーに掛けられた帯に記された活字で味わっていただくのが一番だと思う。あの言葉の居場所は、弁造さんの美しい庭の上なのだから。

『庭とエスキース』は来週、刷りだしを迎えることになった。いよいよ、弁造さんの日々が一冊に結ばれる。

写真集発表、そして今回の本の刊行とまるで弁造さんを驚かすような出来事が続いている。僕はこの出来事の真ん中に立っていて、「こうして、弁造さんとの日々が育っていくのか」と僕自身驚きながらも大きな喜びを噛み締めている。

あと少し。『庭とエスキース』の完成が待ち遠しい。

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