黄色いセーター #庭とエスキース

先日、上京した際にみすず書房のOさんと会い、制作中の「庭とエスキース」についての打ち合わせをおこなった。岩手から背負っていった僕のバックパックに入っていたのは300ページにも及ぶずっしりと重いゲラ。このゲラもすでに第3校だ。昨年の春から書き始め、秋を迎える頃には何とか書き上げてから初校を出してもらう前に数度読んで赤字を入れた。それから初校が出て、また赤字を入れ、さらにもう一回、そして今回と何度も何度も読み、再び赤字を入れてきた。

ゲラは言葉の積み木のようだ。校正の方からの指摘、Oさんからの内容についての疑問点などが文章の脇に記され、僕はそれらのひとつひとつの赤字を前に文章を解体し、ときにはかつての自分が著した内容を問いただし、再び言葉を積み上げていく。

こうした作業は思いのままに一気に書いていくときとは頭の使い方が異なるのか、なかなか大変なものだ。でも、どんなに短かく簡単な文章であっても書くのは僕しかいない。当たり前だけど、弁造さんと過ごした記憶は僕の中にしかない。稚拙であれ、それを言葉として生み出すのは僕に与えられた役割だ。

それにしても、ゲラを読むといつも不思議な感覚にとらわれる。

ゲラを読むのと小説を読むのはまるで違う。そこに書かかれているものをゆっくりと味わい飲み込むのが小説を読む行為だとすると、ゲラ読みは与えられた食べ物をしげしげを眺め、匂いを嗅ぎ、少し齧って味を確かめてみたりとまるで検分のような行為だ。

しかし、すぐに忘れてしまうのだ。

一列に並んだ文字のなかから聞こえる弁造さんの甲高い声。そして、その声が弾み、得意のユーモアを語り出す。僕はもう一気に引き込まれていく。

弁造さんとの時間はなんてことのないものだった。午後の庭で木々の影が伸びていくさまを眺めながらいつまでも開拓時代の昔話を聞いたり、丸太小屋のなかでいつまでたっても完成することがない絵を前にこれから描こうとする絵の話を聞いたり、きっと弁造さんもすぐに忘れてしまうような話に何時間もの時間を費やしていた。

今、制作中の「庭とエスキース」ではそれを書いた。弁造さんから聞いた弁造さんの記憶を僕の頭のなかで少しだけ膨らませ、淡々と綴っていった。それは物語と呼べるほどの展開ではないのだが、あの丸太小屋のなかで過去を語る弁造さんとそれを聞く僕がいて、現在の僕がこの二人に加え、弁造さんの記憶の中の弁造さんを書くという、つまり二重の過去を書くという構図が、物語とは違った趣きを作ってくれたような気がする。

これはよく考えてみれば、写真を編むとよく似ている。写真は撮ったのは自分ではあるけれど、シャッターを押すという行為を行ったのは過去の自分だ。そして、写し撮った世界も過去のもの。それを現在の自分が編むということは過去の自分が見た世界について、果ては過去の自分に考えることになる。

 

こうしたことを考えていくと、拭い去れないのは過去という時間についてだ。ただ流れ去っただけの時間と捉えればそれだけのことでしかないが、今の僕は、今という時間が常に過去からの強い光で照らされていると感じずにはいられない。その光の不思議なほどの強さと、その光によって生まれる深い陰影。今という時間はこの明るみと陰影によって成り立っていると思うのは弁造さんと出会い、その晩年を見つめさせてもらい、逝ってしまった後もこうしてずっと考え続けることができているからだろうか。

先日のOさんとの打ち合わせでは最後にカバーをめくった先に現れる表紙の色を決めた。

当初は「深い緑とかがいいのかなあ」と話し合っていたが、結局、見本紙をひっくり返して選んだのは、弁造さんがいつも着ていたあの黄色いセーターを想わせる風合いの良い明るい辛子色の紙だった。

それを見て僕は「カバーを外したら弁造セーター」と笑った。

「庭とエスキース」。完成まではまだいくつもの作業が残っているが、あの温かな弁造さんのセーターを想わせるその姿が徐々に見えるようになってきた。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です