伝えることについて#写真集制作

写真集を制作するなかで、暗室に入って撮影したネガに向かい、プリントし、編集をし、テキストを書く。

こうした作業なのかで幾度となく頭に去来しつづけたのは「伝えること」についてだった。

人間にとって「伝えること」は最も重要なテーマであることは言うまでもない。大昔であれば生存のために獲物の通り道を伝え、食物の保存の仕方を伝えた。人間にとって「伝える」ということは生き抜くためになくてはならないものだったはずだ。

「伝えること」の重要性は今も変わりないだろう。戦争の歴史などは負の遺産として伝えるべきだし、病を治したり、生活の利便性を高めてくれる技術もまた広く伝えることで多くの人が恩恵を得ることができる。優れた「知」であればあるほど伝える、伝えられることが大切だ。

弁造さん個人の場合、「伝える」ということはどういうことだったろうか。

一家族が自給自足していくことができるようにと設計し、育んできた庭は、まさに弁造さんが世に伝えたいことのひとつだった。弁造さんは自らが実践し、試行錯誤し、作り続けることで、いつの日か自分の庭を必要とする人が現れてくれるとして信じていた。

しかし、それは簡単なことではなかった。僕をはじめ、弁造さんの庭に興味を持って訪れる人は少なくなかったが、庭づくりの背景に隠された膨大なディティールについてどれほどの数の人が学び、そして自らのものとして実践しようとしたのだろうか。

そして、伝えることの難しさは弁造さんが逝くことでさらに増していった。本人がいないのだ。その言葉は消え、実践場であった庭も時の中で変わっていくのを誰が止めようとできるのだろう。

たとえば情報に「淘汰」という言葉があてはまるのだとしたら、弁造さんの伝えようとしたことは、その作用の中に埋没していくものなのだろうか。

そして、僕がこうして、弁造さんの人生を通じて「生きること」を伝える写真を作り続けることもまたここに含まれるのだろうか。

宗教を持たない弁造さんは、「死んだら無になるだけ。0ではない。本当に何もない無なんじゃ」といっていた。

もし、弁造さんの言葉通り、すべてのものが「無」になるとしても、確かにひとつの時代を生きた「個」の存在が何かを伝えようとするならば、それを今の社会がどのように受け入れようとするのか。弁造さんが伝えようとした行為は、個と社会の関係性を考えるきっかけにはならないだろうか。

暗室に立つ僕の頭にはそんなことがぐるぐると回っていた。

弁造さんの伝えようとしたこと、その弁造さんを通じて僕が伝えようとすること。人間は大切なものを運び、届けるべき誰かを探しながら航海を続ける小さな船のようなものなのかもしれない。

 

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