晩秋のこと#写真集制作

2011年の春、弁造さんは中古の電動カートを購入した。それほど足が弱っている状態には見えなかったが、知り合いの農機具屋から勧められたとのことだった。

はじめて僕が弁造さんに会ったとき、弁造さんは軽トラに乗っていた。それが数年後、「もうこんな年寄りが車なんて乗っちゃいかん」と言って、車を手放し、免許を返すことになった。その潔さはさすがだったが、馬ソリから動力付きの車へと変化の時代のなかで生活や仕事の可能性を拡げてきた世代である弁造さんにとって、車を使うことを諦めるという選択は寂しいものだったに違いない。

だからなのか、電動カートが届くや弁造さんは「いよいよ歩けんようになる前に練習しておかなくちゃいかん」と喜んでハンドルを握った。僕にとってその光景は、弁造さんが足腰が弱って歩くことさえままならないという老人の仲間入りをしたようで少し複雑な心境ではあったが、笑顔の弁造さんを見るのは嬉しくもあった。

今思い返すと弁造さんは、しっかりと老いを受け止めていた。老いは、弁造さんにとって一番重要だった絵筆を握る指先の感覚を奪い、長年鍛え上げてきた身体の力を奪った。しかし、そんな出来事のすべてを丸呑みするかのように受け止めていた。

そして諦めるかわりに別の一歩をいつも考えていた。

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