絵を描き続けることを生きることの大きな糧にしていた弁造さんが描く絵は決まって女性だった。
ヌードからさりげないしぐさの女性、さまざまな女性の顔。弁造さんのキャンバスにはいつも女性の絵がかかっていた。死後、遺品を整理した際も、紙切れに描いたたくさんのエスキースが出てきたが、それもまた女性だった。
弁造さんがなぜこうやって女性を描き続けたのか、今となってはもうわからない。
そこに画家としての何かを求めたのか、リビドーとも言える男としてのエネルギーの発露なのか。僕は弁造さんの絵を見るたびに思考をいろいろと巡らせる。