弁造さんとの日常#写真集制作

弁造さんの最晩年は、自給自足生活に目処をつけ、「もう一度、絵を描きたい」と絵に集中することを宣言した。

しかし、90歳を迎えようとする手先はイメージ通りに動かず、ストレスが積み重なる日々が続いた。

そんなとき、弁造さんが向かうのは、丸太小屋の裏に作った小さな畑だった。その畑の世話をするたび「わしはやっぱり百姓なんだな」と弁造さんは笑っていた。

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