エスキースが生まれた場所#Benzo Esquisses 1920-2012

「弁造さんの生きることを奪ってしまっているのではないか」。僕が撮った弁造さんの写真を誰かに見せ、僕が綴った弁造の文章を誰かに読んでもらう。その繰り返しのなかで僕は徐々にこの思いを強めていった。僕が撮った写真を見せれば見せるほど、文章を読んでもらえばもらうほど、そのなかにいる弁造さんが“弁造さん“ではないと感じるようになったのだ。

僕が語る弁造さんが“本当の弁造さん”ではないと意味ではない。弁造さんの“弁造さん”ではないという意味だ。誰かが誰かを語るとき、齟齬や誤解が生まれることは避けられない問題だろう。しかし、そもそも人間には他者によって語ることができない部分を持っていると考えられないだろうか。人の胸の奥底には誰かに触られた途端に壊れてしまうような柔らかで繊細な領域があり、それはきっと自身自身の言葉、呼吸を使ってしか語れないような世界ではないだろうか。そうだとしたら弁造さんにとって、その世界とは絵についてだろう。僕が弁造さんの絵を語るということは、知らず知らずのうちに弁造さんからこの大切な世界に入り込み、奪ってしまうことを意味する。だとしたら、弁造さんにもう一度、この世界を返さなくてはならないのではないか。

この問いは続き、僕が辿り着いた答えは、ある日ぷいっと逝ってしまった弁造さんが残していたエスキースをもう一度、弁造さんに返すという行為だった。もちろん、弁造さんはもういない。それも10年も前のことだ。そんな弁造さんにどうやって絵を返すというのだ。でも、僕は返す場所を見つけていた。それは、僕の記憶の中にある情景がはっきりと教えてくれていた。

弁造さんに会いに行くと、滞在時間の大半は丸太小屋で過ごした。弁造さんは自分の身体の大きさにあつらえて手作りしたベッドの腰掛けるか、ベッドの側板にもたれて絨毯の上で足を伸ばすといういつもの姿勢になると、得意のおしゃべりを延々を続けた。そのほとんどが昔話で、とくに若い頃の開拓時代の思い出が多かった。

「あの時代はな、今のあんたには本当に信じられん出来事ばっかりじゃった。たとえば‥」といつもの決まり文句で開拓時代を語り始める弁造さんの表情は茶目っ気たっぷりで、特徴の甲高い声を小さな部屋にいっぱいに響かせるのだった。

そんな弁造さんの前にはイーゼルが立っていた。大きなカンバスでもしっかりと固定できる立派なもので、重厚感あふれるオーク材で組まれた造りがお気に入りらしく、「やっぱり絵描きだもの。北海道一の貧乏だってイーゼルちゃんぐらいはいいものを使わんといかん」とよく笑っていた。「北海道一の貧乏」は弁造さんのお気に入りのセリフで、農小屋にも見劣る古ぼけた丸太小屋に住みながらも、自給自足をしながら絵を描くという今の暮らしに深い愛着と誇りを持っているからこその言葉だった。

イーゼルはこの暮らしの象徴だった。部屋の真ん中に置かれることで、弁造さんの視界の先にはいつもイーゼルが映った。この風景は、絵描きを夢みつつも家族の借金を返済するために一度は筆を折り、晩年になって再び夢を追うように絵を描く暮らしを手に入れた弁造さんにとって、どれほどの大きな喜びになり得たのだろう。そして、ようやく手にしたこの幸いを表現していたのが、大きなイーゼルにかけられたエスキースだった。

イーゼルには必ず描きかけのエスキースがあった。弁造さんは一枚の絵を描くうえでエスキースの存在をとても大切にしていた。ただ、筆が速いわけではなかった。頓挫でもしたかのように筆が止まってしまったエスキースも少なくなかった。また、同じモチーフで何枚も似たようなエスキースを繰り返し描くこともあった。今思えば丸太小屋の中に立つイーゼルは弁造さんのエスキースが生まれる場所だった。僕は弁造さんを訪ねるたびにイーゼルにかけられたエスキースを眺めた。僕からの絵のついての質問には、弁造さんははぐらかすのが常だった。だから、そのうちエスキースを眺めるだけで、質問はしないようになった。それでもエスキースを見るのが習慣だった。そこにいつも光が止まっていたからだった。

弁造さんの丸太小屋には窓がひとつだけあった。しかも、窓といってもガラスではなく、十字型に組まれた桟にビニールが貼られたが粗末なものだった。ビニールは汚れ、透明度を完全に失っていたが北の太陽はいつも豊かな光量を室内に届けた。イーゼルはこの光が注がれる不思議な器だった。ちょうどエスキースが立てかけられたあたりで光は溢れた。そして、弁造さんの柔らかな筆使いをなぞるかのように、エスキースの上で緩やかに踊ってみせた。風が吹く日、戸外に立つ木々の影がビニールの窓を通して届けられると、エスキースは揺れる水面を映す湖底に生まれ変わった。光は揺れ、震え、そしていなくなったと思ったら、再び強く射し込んで踊った。今、こうして思い起こすと、弁造さんの描く女性は皆、あの光に彩られていることに気づく。僕はあの光を通じて、弁造さんの女性たちの横顔や髪をかき上げる仕草を見つめていた。

弁造さんのエスキースを返す場所はあの光の届く場所しか考えられなかった。あの光を浴びれば、エスキースたちは僕の手から離れ、再び弁造さんの世界に帰っていくだろう。

僕は想像した。黄色いセーターを着た弁造さんの背中が呼吸のたびに静かに膨らみ萎んでいく。窓の光が逆光となっているからだろう。弁造さんの表情は陰になって見えないが、きっと呆けた表情の“絵を描く弁造さん”になっているだろう。肩から水平にまっすぐに伸びた右腕の先、皺の寄った手のひらには筆が握られている。筆先がたっぷりと含んだ色は黄色だ。弁造さんが一番好きな色。背景も女性の肌も、暖かな春のひだまりを思わせるこの色彩で迷いなく塗っていく。あの瞬間、間違いなくエスキースの女性たちは弁造さんから生まれ、ビニールの窓からの光を受けて微笑んでいた。

エスキースたちをあの瞬間に送り届けよう。それが僕が奪ってしまった弁造さんの生きること返すことになる。僕は想像は願いに近く、途切れたはずの弁造さんとの記憶がまだ先に伸びていくような感覚を味わっていた。

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