いつもそこに #庭とエスキース

今回、みすず書房から出版していただく「庭とエスキース」を書くにあたって、昨年1月に上梓した私家版写真集「弁造 Benzo」内のテキストでは触れることがなかった存在について綴った。

僕の旅にずっとついてきてくれた犬のさくらのことだ。さくらは2000年の夏に出会った犬で、その秋から弁造さんへの旅に加わり、2012年4月に弁造さんを送り出した日も、弁造さんが亡き後、丸太小屋の跡で佇んだときも、そして、弁造さんという主人のいない庭で巡り来る季節を感じたときも、ずっと一緒にいた僕の旅のパートナーだった。

写真集「弁造 Benzo」でさくらのことを書かなかった理由は、”あえて”というよりほかない。さくらのことを書き始めると、きっと横道にそれてしまうだろうという予感と、弁造さんを見つめるという視線がさくらのことを描くことによってボケるような気がしたというのが理由だった。でも、実は、そんな思いで写真集を編んでいる間、17歳を迎えたさくらは深い老いのなかにあって、ちょうど色校正が終わったところで、写真集の完成を見届けたかと思ったのか、ふいと逝ってしまったのだった。

さくらは僕が暗室にいるとき、いつもドアをノックして暗室にするりと入り込むと、部屋の隅で横になっていた。カラー暗室の全暗という状態は犬にとって決して楽しいものではないだろうし、さくら自身もどこか退屈そうな顔をして暗闇のなかで横になっていた。ところが晩年になると、その傾向はさらに強くなり、足腰が弱くなって歩くのが困難になったときでさえ、僕が暗室に入っていると、大きな声で僕を呼んで暗室に入りたいとせがんだのだった。

今、思えば、僕が弁造さんに向かい、そして、弁造さんの写真集をまとめていく日々には常にこうしてさくらがいた。「庭とエスキース」を書こうと思った時、このことも書きたいと思った。何より、弁造さんに向かう日々、その時間を綴っていくときに、黒い毛並みを光らせ、三角の尖った耳をいつもぴんと立てていてる小さな存在は重要な役割を担うと思えたからだった。

さくらは、弁造さんにも愛された。動物が好きな弁造さんは、さくらのことをいつも一人の人間にようにして扱い、さくらが丸太小屋に我が物顔で入り込み、ベッドに上ってふとんをくちゃくちゃにして昼寝をしてしまっても文句ひとついわなかった。そんな高待遇だからか、さくらも弁造さんの前では自由に振る舞った。とくに、子犬時代から散歩している弁造さんの庭は自分の別荘か何かとでも思っているのか、パトロールするのが滞在中のさくらの日課だった。そして、パトロールに飽きると、僕ではなくしゃがんで話をする弁造さんの隣でゆったりと身体を伸ばし、弁造さんの甲高い声に耳を傾けていた。その姿はまるで弁造さんの愛犬で、僕は不思議な思いで仲良く並ぶ一人と一匹に向かってシャッターを押した。

こういうシーンをひとつひとつ思い起こして感じることは、記憶の中にある良き思い出というものの手触りの心地よさだ。さくらと弁造さんが庭で座ってのんびりと過ごしている姿を想像すると僕は本当に温かな思いに包まれる。それが淡い郷愁に過ぎないことはわかっているけれど、喪われたものたちを思う時間は、僕自身の行く末に不思議な安心感をもたらしてくれるような気がする。それは、喪われていくことへの肯定感でもあり、喪われていくまでの日々に向かう静かな情熱でもある。

晩年のさくらは白内障がひどくなってしまって、視力の衰えが深刻になった。でも、そんなさくらは暗室にいて、弁造さんのプリントの仕上がり具合を眺める僕をじっと見てくれていた。あのとき、さくらの目に映っていたのは僕という影と、弁造さんがそこにいる四角い印画紙のシルエットだったらいいなと、どうしようもないことを考えたりしている。

弁造さんの丸太小屋にいて 2010

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です