言葉を綴ることについて #庭とエスキース

一冊の本としてまとめるために弁造さんのことを書く。そう決まったもののすぐに書くことはできなかった。

逡巡と言ってしまえばそれまでだが、何をどう書くか見定めることができなかったからだ。僕は写真を自分の表現の中心に置いている人間だ。しかしその一方で馴染みという意味では言葉の方が上だろう。

言葉は物心がついたときから身近にあり、そして我が身から自然と出てくるものだった。一方の写真は、カメラとフィルムが必要で、しかもそれを扱うという技術が必要だ。言葉が身体や感情と一直線上に並ぶ表現の道具だとしたら、写真はどこか捉え難く、何やら不可思議なものとして僕の中に存在してきた。

カメラという道具をそれなりに自由に扱えるようになった今でもそれは変わらない。でも、だからこそ面白いのだ。たった一度シャッターを押すことによって生まれる写真の中に揺るぎなきリアリティーと、そこに写っているものがすべて過去のものであるという、何とも言えない奇妙さ。何より表現の強さ。それに触れるたび、写真とは一瞬にして的を射る矢のようなものだという思いに至る。的の中心が真実だとか本質だとか、そういうことを簡単に言うつもりはない。しかし、意識していようがなかろうが、その瞬間、写真はカメラの前にあった世界に向かって閃光のようにして飛んでいき、ど真ん中に的中してみせるような気がするのだ。だから、写真を見ると驚くのだ。あの瞬間、カメラの前の世界はこうなっていたのかと。

その一方で言葉とは、梢に降った雨粒がしたって幹を伝い、地に潜り、深いところで水脈を作り、いつかは再び地を割って溢れ出す湧き水のようなものだと思う。人や出来事に出会い影響されていく過程の中で醸成されていく感覚や感情たち。それを言葉に変えていくためにはある一定期間の時間を必要とするのではないか。そして、言葉を紡ぐとは、きっとそういうことなのだろう。

僕が弁造さんについて書こうと思ったとき、見つけ出すべきはそういう言葉たちだと思った。それなりに長く生きてきた人生のなかで覚えた言葉を操って遊ぶのではなく、弁造さんとの記憶を一度自分の中に沈み込ませ溶かし込んだその先で浮かび上がってくるであろう、弁造さんの”生きること”という模様や質感を書き綴ってみることはできないだろうかと考えた。とはいえ、それを具体的に行うための方法論を携えているわけではない。なかなか書き始めることができないのも当然といえば当然だった。

でも、不思議なことに、何かヒントやきっかけがあったわけではないのだが、ある日突然、書き始めることができたのだ。それはもう不思議な出来事で、弁造さんとの記憶がまるで新しい命を吹き込まれ、脈を打ち始めるかのようになり、それが言葉となって出てきたのだ。

書き進めたのは僕が弁造さんと過ごした時間のなかで聞いたこと、見たことに終始したはずだった。しかし、書き終えた原稿を今、改めて読んでみると本当にそんなこと弁造さんが言ったのかどうか定かでないという、どこか奇妙な感覚を抱く。弁造さんを訪ね始めたのは20年も前のことなので記憶が曖昧になっている部分もあるだろう。しかし、これは弁造さんの人生という物語を前にした僕の夢想のようなものではないのかと思えてくるのだ。その一方で、ただ、僕が書いたことがもしもフィクションだったとしても、弁造さんが読めばきっと「ああ、わしの人生じゃな。結局、何もできんかったな。92歳まで生きたのにもったいないことしたわい」などと言って笑ってくれるような気がするのだ。

今の僕は、弁造さんがそう言ってくれることを信じて、そして、こうした言葉こそが深い土の底から再び地上に現れた水のような言葉たちではないのかと願いながら、弁造さんの”生きること”を何度も読み返している。

 

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