弁造さんの最晩年は絵を描くことが中心になるはずだった。しかし、老いから手が自由に動かず、震える指先は「勢いのある線で陰影を超えた立体感を表現する」という弁造さんの技法は封じ込められるかたちになった。そのため、絵を描くことが一時は嫌になることもあった。
それでも、弁造さんは最後まで震える手でエスキースを書いた。最後に取り組んだのは、人と犬の肖像で、雪の河原に転落した車の中で人と犬が抱き合って一晩を過ごし、一命をとりとめたという交通事故のニュースから着想を得たようだった。
伸びやかな1本の線ではなく、幾重にも重なり合う線で浮かび上がる人と犬。
弁造さんの本意ではないタッチなのかもしれないけれど、あの日、雪の丸太小屋で見た一枚の紙切れに描かれたそれは、美しい織物のような繊細さを持って僕の胸を揺らした。
その後、弁造さんは逝くことになり、この絵はエスキースのまま、立ち止まることになった。