写真集を制作するにあたり、ずっと迷っていたことがタイトルだった。
弁造さんという名の人物を被写体としたこの作品は、「明日をつくる人」として発表してきた。弁造さんと出会い、その精神に触れていくなかで自然に出てきたのが「明日をつくる人」というタイトルだった。
初めて出会った弁造さんは78歳で、ずっと先の将来を見据えて生きていくことができる年齢ではなかった。それは弁造さん自身が最もよく知っていることだった。それでも、弁造さんの日々は、明日、取り掛かるべく出来事を中心になっており、途上であることの喜びに満ちていた。当時の僕には、そんな弁造さんが”明日”をつくっているように思えた。
しかし、今回の写真集制作ですべてのネガを見直し、プリントをしていくなかで、かつての自分がつけたタイトルが、写真群にそぐわないような気がした。18年間撮り続けてきたフィルムには、弁造さんの様々な姿が克明に写し出されており、そこには「明日をつくる人」だけではない何かも存在しているように思えた。
フィルムの中の弁造さんは、僕が一方的に見定めた「明日をつくる人=弁造」ではなく、別の何かに名付けられることができない強烈な存在としての「弁造」だった。
暗室の中で僕は再び弁造さんを見つめ、「弁造、弁造」と声に出してみた。
「明日をつくる人」から「弁造」へ。
弁造さんの生きた時間から、もう一度、「生きること」を見つめ直そう。僕は再びフィルムの中に目を落とし、弁造さんを探しはじめた。