1ヶ月以上に渡ってひたすら続いた暗室の日々。
それは、フィルムの中にある《かつてあった日々》に没入していく時間でもあった。
僕が「時間」の感覚として最も重要に感じているのが「今」という感覚だ。もちろん、これは僕だけの感覚ではなく、今を生きる人すべてにおいて当たり前のものだろう。
しかし、暗室でフィルムを繰り、今となっては過去になってしまった時間の断片を見つめていると、本当に心から、かつての時間が生々しく立ち上がってきたのだ。
長い暗室作業のなかで感覚が麻痺していたのかもしれないけれど、立ち上がってきた過去の時間の生々しさは、僕の現実の時間のそれを超える強さに思えた。
僕は、井上弁造という被写体の人生に再び伴走できる喜びを覚えた。